あの日の台所
Chapter 2 4時間以内 ”脳梗塞”
「脳がいっているかもしれませんね」
救急隊員の言葉の意味が、すぐには理解できなかった。ただ、胸がぎゅっと締め付けられた。
何が起こったかわからない私と、何が起こったかわからない父と、救急車の中でそこだけ時間が止まったような気がした。
受け入れ病院は藤田医科大学病院に決まった。ここから一番大きな病院だ。
実は工房からの帰り道、ナビに導かれながらこの病院の前を通っていた。普段は通らない道。通り過ぎるとき、なぜか嫌な感覚があった。母がまだ若いころ、この病院に入院していたことがあったのを思い出しながら、ここには来たくない、と無性に思った。
その病院へ、今は私がいる。
救急病棟のベッドで、寒がりで厚着をしていた父の服が次々と脱がされていく。運よく緊急病棟はほぼ空いていて、ドクターや看護師が入れ替わりながら状況を確認していった。同じ質問を何度も繰り返される。自分の答えは本当に正しいのかと、疑いながら答え続けた。
何度も同じことを聞かれたのには理由があった。
「父が最後に普通だった時間」から「発見まで」の経過時間, それが治療の鍵になるからだ、と教えてもらった。泣きたい気持ちと、しっかりしなければという気持ちで、崩れそうな感情をぐっと抑えながら、朝からの父の様子を伝えた。
4時間以内であれば、まだ可能性がある。
造影剤が投与され、脳梗塞と診断された。カテーテル手術を勧められた。判断力が鈍っている私に、ドクターはこんな緊急の場でも、丁寧に説明してくれた。
「もしドクターのご家族だったら、どうしますか?」と聞くと、「私なら間違いなくやります。可能性の高い方を選びます」と答えてくれた。
たくさんの書類にサインをした。造影剤の副反応、術中の心臓停止リスク、高齢者であることを踏まえた蘇生措置の確認 - 時間と戦う病院スタッフの動きを止めないように、急いで理解して、サインをしていった。
カテーテルは成功した。ドクターが映像を見せながら、説明してくれた。
もう会えないかもしれないという恐怖と、パニックになりながら家から運ばれていった父の顔が、フラッシュバックのように浮かんだ。ICUへ移ると面会ができなくなるので、「会ってきてください」とナースに声をかけられた。
父は目を開けて、私の顔を見て、なんとも悲しそうな表情をした。
まだ意識も記憶もある。今の状況を少し話した。どこまで理解できたかはわからない。突然わけもわからず病院へ運ばれ、管をつけられ、衰弱していた。静かに「おやすみ」を言って、病室を出た。
一人、真夜中の救急病棟の明るい廊下に座り込んだ。
緊張がゆるむと、トイレで父を助けようとしたときに無理をした腰が、じわじわと痛み出した。立ち上がることもできないまま、家族に状況を報告するLINEを送り続け、気がつけば1時間以上そこにいた。東京に住む息子は、最終新幹線に飛び乗って名古屋へ向かっていた。
時計はすでに真夜中を回っていた。
声に出して泣きたい気持ちをこらえながら、病院の長い廊下をただ眺めた。
左後頭部の大きな血管が詰まっている(左写真)。血栓を除去して止まっていた血管に血流が戻った様子(右写真)。タクシーで帰宅したのと、息子が到着したのとが、ちょうど同時だった。
家に入ると、数時間前まで料理をしていた、そのままの状態だった。鍋で蒸していた野菜。まな板の上のにんじん。まるで時間がそこで止まっているようだった。
救急隊員が父を運び出せるよう動かしていた家具を、一つずつ元に戻していく。
息子を駅まで迎えに行ってくれた甥っ子に、今日何度も繰り返してきた父の状況、病院での出来事をまた話した。時計を見ると丑三つ時を過ぎていた。
携帯をサイレントモードから戻した。ベッドに入ったが、涙は出なかった。恐怖で胸が押しつぶされそうだった。腰はぎしぎしと痛む。眠れないまま2時間ほどして、ベッドを出て熱いシャワーを浴びた。
これから、どうなるんだろう。
昨日までの父への反抗、あの態度を後悔した。こんなことがこんなに早く来るなら。もっと優しく、丁寧にそばにいてあげるべきだった。もっと元気なうちに、いろんなところへ連れて行ってあげるべきだった。
後悔が後悔を呼んで、胸がますます苦しくなった。
to be continued