日本での新しいスタート

2022年5月、22年ぶりに日本へ帰国し、新しい生活がはじまりました。
オーストラリアで過ごした年月は、子育ても、仕事も、すべてが異国の地での体験。そんな日々を経て、生まれ育った国へ戻ってきたわけですが——実は「行く」よりも「戻る」方が、はるかに大変でした。

言葉も通じるし、戸籍もあるし、家族もいる。「なんとかなる」と思っていたのに、現実はまるで違いました。

まずは、22年前に出国届を出していた区役所で住民票を申請するところからスタート。国民健康保険や年金への加入、日本での身分証明書の再取得。これらがなければ、銀行口座も開けず、携帯電話の契約もできません。まるで“外国人”として日本に来たような感覚にさえなるのです。

最初の数ヶ月は、オーストラリアで使っていた携帯をWi-Fiにつなぎながら、一時帰国中のような状態でしのぎました。

銀行口座を作るにも、予約は取りづらく、受付可能な銀行を探すだけでも一苦労。やっと開設できたと思ったら、2時間半も拘束され、キャッシュカードが届くのは1ヶ月後。それまではATMも使えず、不自由な日々が続きました。

運転免許の書き換えは、翻訳書類の手配から試験場での手続きまで約3ヶ月。3回も試験場へ足を運びました。
マイナンバーカードは「帰国して日が浅い」という理由で一度は拒否され、こちらも取得までに3ヶ月。
携帯電話の契約は、日本の身分証明書が揃うまで待つしかなく、しばらくはポータブルWi-Fiを持ち歩く生活でした。

さらに、車の購入もローンが通らず現金払いに。
あらゆる手続きが“書類→郵送”というアナログな流れで進み、山のように届く封筒を前に、何が必要で何が完了したのか、混乱しないよう必死で整理しました。

そんな暮らしが少し落ち着き、日本での生活基盤がようやく整ったのは、帰国から約半年後のこと。

今振り返ると、あの頃の記憶は「戻る」ための手続きに追われた毎日。
読み慣れない日本語の公的書類と格闘しながら、Google翻訳を頼りに、何とか今日をつないでいた日々でした。

22年間の暮らしを、15箱に詰めて飛行機に託した荷物たち。コロナの影響で届いたのは、私が帰国してからさらに3ヶ月後。すべてが「思ったよりも遠かった」—それが私の“帰国の現実”でした。

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