シングルペアレントという選択
少し前に日本へ一時帰国したときに書き残したブログがあります。
これは、シングルペアレントとして歩んできた私の小さな記録。
あの頃の自分に、そして今この瞬間も頑張っているあなたに、そっと届けたい気持ちを込めて、ここに残します。
日本に一時帰国したとき、「男女平等」という言葉が新聞や行政からの郵便物に多く見られ、少し驚きました。
日本には今も「男は仕事、女は家庭」という固定的な役割分担が根強く残っていて、職場で女性が同じポジションに上がれなかったり、給与格差があったりするのが現実です。
長く海外で暮らし、そうした境界を感じずに過ごしてきた私には、それがとても強く印象に残りました。
息子がまだ小さかった頃、私はすでにシングルマザーで、日本に住んでいました。
高い保育料を払いながらも、ささやかで心地よい暮らしを目指して働いていました。
しかし、出産直前まで勤めていた職場では「子育てしながら働く女性はいらない」と理不尽に解雇されました。今であれば社会問題になっていたかもしれません。
出産後は、子育てと両立できる職場を探しました。ある面接では、若い社長に「お涙ちょうだいシングルマザーは大嫌いだ」と罵られ、悔しさで泣きながら帰宅したことを今も鮮明に覚えています。
その後、採用の連絡を受けたものの、面接での経験を理由に「男女不平等な環境では働けません」と丁寧に辞退しました。
私は思います。
シングルマザーは「同情される存在」ではありません。
愛と努力で、たった一人で子どもとともに生きています。
24時間という同じ時間の中で、子育てと自分育てを両立しながら、たくましく生きているんです。
もちろん、心が折れる日もある。助けがほしい時、病気になることもあるし、実家のごはんに救われることもある。
それでも、子どもと一緒に過ごす「質の高い時間」が一番大切だと感じています。
わが家には、いわゆる「父親」「母親」という役割の線引きはありません。
キャッチボールもこま回しも、釣りもザリガニ取りも、息子の興味に合わせて私も学び、共に遊びました。 海外への親子留学も、ゼロから二人で体験しました。泣きながら試練を乗り越え、支え合ってきたからこそ、私たちの間に「男・女」の役割は存在しなかったのです。
小学生だった息子は、自分の荷物を自分で持ち、買い物の袋も必ず半分担いでくれました。
時には通りすがりの人が「君は強いね。お母さんをもっと手伝って驚かせてあげよう」と優しく声をかけてくれたこともありました。
そんな小さな気づかいが、今も私たちの習慣として続いています。
誰もが好きで一人になったわけじゃない。
目に見えない事情や心の痛みを抱えながら、それでも前を向いている人たちがいる。
大切なのは「形」ではなく、その中にある愛と尊重だと思うのです。
どんな環境であっても、子どもが安心して自分らしくいられること。
それが、私たち大人にできるいちばんのことだと思っています。
その生き方を胸を張って、顎を上げて、子どもたちに正直な姿で見せられたら、それはきっと力になります。
まだまだフェアじゃないと感じることは多いけれど、
貯金ゼロから海外で暮らすという夢を叶えた私も、ここにいます。
こんな私にできたのだから、あなたにもきっと、まだ気づいていない力がある。
その力は、静かに、でも確かに、あなたの中で息をしている。
信じて、大丈夫。あなたにも、ちゃんとできるから。
子どもと同じ目線に立って生活を見つめてみると、
思いがけない発見がたくさんある。
それは、かつての自分──息子と同じ頃の私を思い出す時間でもある。
なぜ迷い、不安になったのか。
なぜ夢中になり、新しいことに心が躍ったのか。
そんな問いを重ねていくと、
息子と過ごす時間が、ただの日常を越えて、
雄大でカラフルなエネルギーに満ちたものに変わっていく。
それが、自分を育てる「育自」なのだと思う。