Am I alright?

この文章を書けるようになったのは、静かに空へ旅立った父とのお別れから63日目のことだった。

駆けつけてくれた家族が帰り、父と過ごしたこの家が、また静けさを取り戻した。

自分の呼吸しか聞こえないような静けさの中で、私は一人、膝を抱えていた。

ベッドから起き上がれず、食事も喉を通らない。眠れない夜が続き、お酒の量も少しずつ増え始めていた頃。

ふと、これまで海外で暮らしていた頃のことを思い出していた。

こんな時、いつも、誰かが両手を広げて、胸を貸してくれていた。

そんな記憶の中から、聞こえてきた言葉。

Am I alright?

そんな問いが、ずっと頭の中にあった。

Are you okay?
How are you feeling?

オーストラリアから、時差を越えて届くメッセージに、張りつめていた気持ちが少しずつ緩んでいった。

こんな時だからこそ、何度諦めても電話をかけてきてくれた古い友人。

送られてきたメッセージに返信しながら、抑えていた本当の気持ちが、少しずつ言葉になっていった。

そして、ポロポロと涙が止まらなくなった。

Are you alright, Yoko?

葬儀が終わり、49日の法要をお寺で行った。

家族や子どもたちが集まっていたから、私は忙しくホスト役を務めた。

みんなが少しでも居心地よく過ごせるようにと、あれこれ動き回った。

父が亡くなってから、正直、まだそんな気持ちの余裕はなかった。

それでも、明るく振る舞えるようにはなっていた。

そして、一人の時間を好むようにもなった。

本当は、そんな余裕なんてなかったのだと思う。

どうやって自分の背中を押して、オーストラリアにいた頃の自分に戻れるのか。

どうしたら、普通の生活に戻れるのか。

そんな焦りでいっぱいだった。

誰にも言葉にできないこの気持ちを、聞いてくれる人はいない。

子どもたちの賑やかな声に囲まれていると、悲しみが一瞬、殴り消されるような気がする。

でも、ふっと静かになった瞬間、ぽっかりと穴に落ちるように、寂しさに耐えられなくなる。

“You’re supposed to take care of us”

喪主として、みんなを迎え、気を配り、支えるのが私の役目だった。
もちろん、それは分かっていた。

でも、父を亡くしたばかりの私は、自分自身を支えるだけで精一杯だった。

本当なら、誰かのお世話をする前に、

How are you?
Are you alright?

と、声をかけてほしかった。

日本には、人の輪の中に踏み込みすぎてはいけない、というような距離感がある。

父からも、

「それ以上は聞けないよ」
「そこまで聞いたら失礼だ」

と言われたことがよくあった。

でも、これまで海外で暮らしてきた私にとっては、人に興味を持つことも、相手に質問することも、会話をすることも、決して特別なことではなかった。

もう一歩。

あと一言。

その声をかけられないことが、とてもタフなここでの暮らしだと感じることも、これまで何度もあった。

でも今は、特にそう思う。

父の葬儀が終わった途端、父のことを話す人がいなくなった。

まるで、何もなかったかのように。

私はまだ、grieving の途中にいる。

もう少し、時間がかかるのだと思う。

それは、恥じることでもないのだろう。

誰かが父のことを聞いてくれたら、私は何も遠慮せずに話せる。

父のことを。

最後の日々のことを。

今でも思い出すことを。

49日が終わったあと、家族はまた、それぞれの場所へ帰っていった。

ここには、もう父も母もいない。

みんながここへ来る理由もなくなった。

そして私は、これからどこへ行こうかと思う。

父のために動くことができなかった時間を終えて、

もう一度、自分の人生を仕切り直してみようと思う。

見てみたかった場所。

行ってみたかったところ。

経験してみたかったこと。

まだ知らない日本を、少しずつ訪ねてみよう。

しばらく、どこかで暮らしてみるのもいい。

誰かのためではなく、

自分と向き合う時間を、少しつくってみよう。

私はこれから、どこへ行こう。

そして、

Am I alright?

今度は、自分自身にそう問いかけながら。

Yoko Imoto

オーストラリアと日本をつなぐ暮らしの記録

https://www.instagram.com/ikusaki_yoko/

https://www.yokoimoto.com/
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