My Mug Cup
ひとつのカップが語る、境界線の物語
いつからだろう。自分のマグカップを、他者の手に委ねることができなくなったのは。
些細な執着だと思っていた。けれど、家族が、姉妹が、何気なく私のマグカップに手を伸ばす瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれる。どうして? という静かな問いかけが。
職場の共用マグカップは、私にとって試練だった。きっと誰もが同じ思いを抱いているのではないか?そう想像すると、どうしても手が伸びない。右利きの人が多いだろうと推測し、あえて左手でカップを持ち、飲み口を変える。そんな小さな儀式を重ねながら、私は自分が潔癖症なのではないかと、密かに心配していた。
やがて自分のマグを持参するようになった。使い終わって洗い、棚に置く。それだけのことなのに、次に訪れた時、誰かがそれを使った痕跡を見つけると、言葉にならない不快感が押し寄せてくる。棚の奥深くに隠してみたり、他のマグを重ねて目隠しをしたり、まったく別の扉の中に移動させたり。最終的に辿り着いた答えは、使用後すぐに自分のデスクの引き出しにしまうという習慣だった。
先日、ふとした瞬間に思った。
なぜ、私はこれほどまでにこだわるのだろう?
そして、
なぜ今もなお、この感覚は続いているのだろう?
興味が湧いて、少し調べてみた。
境界線の違い ― 個人と共同の領域を分ける線は、人それぞれ異なる場所に引かれている。
パーソナルスペースの感覚は、物にも及ぶ。
衛生観念の相違 ― 「洗えば清潔」という楽観を、私は受け入れられない。
口をつけるものだからこそ、他人との共有に抵抗がある。(外食よりも家ご飯が好きなのもこれなのかもしれない)
所有意識 ― 物への執着があり、「私のものは、私のもの」という明確な線引きがある。
特に日常的に使うアイテムほど、その傾向は強い。
育った環境 ― 兄妹の中で育ち、自分の意思で選ぶこと、自分だけの領域を持つことが許されなかった記憶の反動。
お古ばかりで「自分だけのもの」を持てなかった経験が、今も影響している。
子ども時代に「自分のもの」「自分の選択」「自分の領域」が十分に尊重されなかった経験は、大人になってからの境界線の引き方に影響を及ぼすそうだそうだ。マグカップへの強い所有意識は、決して些細なこだわりではない。それは「これは私のもの。私が選んだもの。私だけのもの」という、自己確立の静かな宣言なのだと知った。
ひとつのマグカップから見えてきた、自分の心理的な地図。
この感覚から解放される日は来るのだろうか。そう考えると、少しだけ心配になる。(苦笑)
あなたはどうだろう。自分だけの、何かを持っているだろうか。